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あなたの代わりはいくらでもいる

言うまでもなく、自尊心は大事です。
なぜ人には、自尊心があるのか?

それは、人間が、

「神様の作品」だから

と、思っています。

神様の作品であるから、
全ての人は、敬われるべきです。
神様が愛して創造した、というプライドが、ある。

牧師先生は、

「どんなに小さな人も軽んじるな」と教えて下さいました。

ところが、現代社会では、人は、確実に軽視されています。
「あなたの代わりはいくらでもいる」と。

なぜ、個人が置き換え可能になったのか。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で
マックスウェーバーは複雑化した社会を「鉄の檻」と呼びました。

「精神の無い専門人、心情のない享楽人。これらが人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」

まさにニュースで見かける御用学者、数字だけ追う倫理も歴史観もない経営者、SNSに氾濫する自分の損得しか考えないコスパ野郎たちです。

複雑化した社会を統治するための合理的な官僚・政治システムが必要だが、合理性志向社会が人間をダメにする、と。
ウェーバーは見通していました。

合理性、というのは計算出来る、ということ。
すなわち、個人が数字や記号に置き換えられる、ということです。

だから、「あなたの代わりは、いくらでもいる」となる。
ただ、合理的システムを突き詰めると、結末は、人間自体が除去すべきノイズとなってしまいます。

結局のところ、個々への敬意無しには。
個への特別な感情無しには。
人間が人間らしさを失う、自尊心を持てなくなることは自明でしょう。

政治や経済システムに大きな期待は出来ません。
母体が「鉄の檻」となってしまったから。結局のところ、システムを扱うのは人間なので。そもそも、システムに頼り過ぎると、人は退化する。

社会が乱れている?ならば、今こそ、個人が輝く時だ。


聖書を読むと、神様は乱れた世を裁き・救うために、神様の人を送りました。

裁きと救いがなんなのか?それは教会に聞いて下さいw

結局のところ、このような鉄の檻になったのも、
聖書で言うところの「終末」であるからなのか。

今こそ、神様の御言葉で、個人が、自尊心を取り戻し、輝く時。

神様の愛と御言葉で、新しい社会を作る時。

世紀末救世主伝説 北斗の拳

「愛をとりもどせ」ww

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